企業取材レポート
レポート
明和工業株式会社
話し手:北野 滋 社長
市内のものづくり企業の独自の技術や取り組みの情報を取材し発信することで、市内企業及びものづくり産業の発展につなげることを目指す企業取材レポート。
第6回は、「明和工業株式会社」。聞き手は、村田智ディレクター。
汚泥を活用した地球に優しい炭肥料「肥炭粉」を開発
バイオマス炭化装置の研究・開発・製造に力を入れている明和工業株式会社。家畜の排泄物や下水汚泥、生ゴミといった有機ゴミを同社の炭化装置に投入すると、電力や化石燃料をほとんど使わず、低コストで炭ができる仕組みを実現させている。 このバイオマス炭化装置を活かし、廃水処理後の汚泥を利用した炭を、炭肥料「肥炭粉(ぴったんこ)」として販売している。肥料登録には、狂牛病対策のこともありハードルが高く、肥料登録するのに3年もかかったそうだ。 この炭肥料は、血液由来の鉄が豊富に含まれているのが特徴で、科学的な証明はまだだが、実際に使ってみると、土壌がよくなるそうだ。余った生の野菜などの生ゴミは、腐ったり、発酵したり、熱をもったり、アンモニアが発生したりと、土壌汚染につながるため、生のまま土に蒔いてはいけない。だから通常は堆肥にするが、完熟させるためには最低3ヶ月程かかってしまう。その点、炭に処理してしまえばそのような問題は起こらず、時間もかからないというメリットがあるそうだ。
すでに農家でも「肥炭粉」が導入されている。 例えば「かぶらずし」用の蕪は10~11cmのサイズ規定があり、この炭を使うことで早く成長し収穫を終えられる。その分、農家の人は他の作物に着手でき、回転がよくなるというわけだ。長芋を作ってみたら、大きさが前年の1.5倍になり、最大で長さ1.2m、重さ2㎏のものが収穫できたというから驚きだ。同様にジャガイモを栽培しても、一般的な農法に「肥炭粉」をプラスしただけで、やはり1.5倍の大きさで収穫できた。植物の根っこを見てみると、炭にまとわりついて、植物が炭を欲しているのが見てとれる。どの野菜も、「大きく、軟らかく、甘くなる」効果があるというが、「当社は宣伝下手なのもあって、まだ爆発的に売れている状況ではない。」と、北野社長は苦笑いだ。
「肥炭粉」製造販売のもとになった、石川県金沢食肉流通センターの廃水処理後の汚泥の炭化は、7、8年前に県の事業でスタート。その際に炭がどんどんできたものの、当初はそれほどいい肥料だとは思っていなかったそうだ。たまたま、その炭をフレコンバッグ(粉末や粒状物の荷物を保管・ 運搬するための袋状の包材のこと)に入った状態で放っておいたところ、口が空いているところに種が飛んできて草が生えてきたのを発見し、「この炭ならば化学肥料の代わりとして絶対いける」と確信し、大学の先生にも相談した。すると、汚泥から生まれた炭は保水性が高いため、砂漠での農業にも役立つとの見解を得た。 この手法は、現在ではケニアでのJICA(国際協力機構)の事業に導入しているほか、大学との連携のもと、ボツワナでの導入を申請中の事業もある。「汚泥の炭を肥料にするなど誰も考えもつかないことだろうし、今でも手がけるのは当社だけではないか。」と北野社長は語る。
副産物でとれる木酢液に着目し、砂漠地の農業に活かす
木を炭にする際にできる木酢液もまた、作物の乾燥耐性の強化に対して効果的であることがわかっている。北野社長はこの木酢液を使った事業もボツワナでやりたいという。ボツワナには、砂漠とまではいかないが、土地が乾燥していて農業がうまくできない地域が多数存在する。「炭で保水性が改善され、木酢液によってさらに乾燥耐性がよくなれば、いい農業ができるはず。農産物の味が良くなり、大きくて軟らかくなれば、アフリカで一番重要な食糧問題の改善に少しでも助けになると考え、我々の技術で対応していきたい。」と北野社長は意気込んでいる。
バッチ式炭化装置「Carbon Box」
中小企業ならではのスピード感を武器に、海外展開へもいち早く乗り出す
北野社長のプロフィールが気になったので、お聞きしてみた。 「私はもともと外国との仕事がしたかった。高校ぐらいの時には船乗りになりたかったが、近眼になってしまい難しいだろうと諦めて普通の大学の工学部へ入学した。卒業後は外資系の石油会社に入社したが、その時にちょうどオイルショックが重なったこともあり、会社嫌いになってしまい退職。青年海外協力隊に応募して参加することがほぼ決まっていたが、理由あって帰郷し、公害防止を手がけていたこの会社に入った。当時わずか十数人の会社だった。入社間もない頃は、開発には携わらせてもらえず、クレーム対応ばかりさせられ、『この会社に長くはいないかもしれない。』との思いを抱いていた(笑)。でも、30歳の頃には、いつの間にか周りのものは皆辞めてしまっていて、自分が技術の中心になっていた。同時に、権限と責任を与えられ、自分の思うことが実現できるようになった。小さい企業のいいところは、何かしようとすると翌日にはつくっているスピード感。どこよりも早いということを最大限に活かさなければとの思いで、様々なことをやってきた。」
時代の変革を感じて事業転換
1995年から、コメの一部自由化に伴い、国の農業政策も、これまでの農協中心の農業支援から、大規模農家を育てるという方針に変わった。同社はそれまで農協施設に自社の集塵装置を納め売り上げを伸ばしていたが、バイオマス事業へと事業転換を図り出した。まずは稲のもみ殻を処理する機械を手がけた。熱や燃焼、ガスの発生など色々な要素があり、公害防止装置より技術的にずっと難しく、最初は失敗だらけで苦労したが、10年目ぐらいから形になってきた。海外からも話が来て、東南アジア、中国、韓国を中心に輸出もした。とはいえ、日本からの輸出品は高くつくため、当時は爆発的には売れなかったというが、この事業転換が現在のバイオマス事業の根幹となったと思っている。
「技術提供」と「連携」の2つのオープンイノベーションを推進
同社にいた中国人社員の中に、自国に帰ってビジネスを興して大成功した者がいる。彼が習得した同社の技術を活かして、自社製作し、同社はロイヤリティだけをもらっている。今後は、中国だけではなく、アフリカのマーケットでもこのパターンで展開したいと考えている。 今までのように装置を日本で製作し輸出していたのでは、時間も金もかかる。特に、アフリカ諸国が自立することが大事だと考えているため、そのための支援をしたい。例えば、水草が増えすぎて問題となっているアフリカのビクトリア湖では、水草を同社の炭化装置で処理するのに100箇所あっても足りない状況であり、小規模な同社ではその能力もないし、10年以上の仕事になってしまう。たった1つの湖の問題を解決するのにこのペースでは話にならない。その上、同じ状況のところは、世界中にある。そこで、技術を提供し、ビジネスとして成り立つなら、助成金などの国の補助に頼らなくても問題解決に貢献できるのではないかと考えている。 大学などの研究機関に対しても技術や情報をオープンにしている。というのは、彼らの方がもっと面白いものをたくさん持っているので、これとこれを組み合わせたら面白いのではないかという提案から、新しいものが生まれると考えているからだ。これこそがオープンイノベーションの醍醐味であると捉え、積極的に進めている。
会社の転換期は、人の力が大きな原動力に
会社が脱皮するときはやはり「人」であると北野社長は考えている。バイオマス事業への方向転換するときも、10数人のスタッフのうち、化学がわかる人は一人もいなかった。今では産学連携は当たり前だが、当時はそのではなかったなかで、金沢大学の先生と研究したり、活性炭の仕入れ先であった武田薬品の研究員にも教わったり、様々な研究機関にも同行した。 そんな経緯もあって、同社では、北海道から沖縄までかなりの大学と付き合いがある。国の事業に関しては、環境省、農林水産省、防衛省、外務省、文部科学省、JICAなどの7つを手がけ、事業はどんどん増えている。産官学のネットワークのお陰で、日本の一流の方が多く同社に足を運ぶという。費用を負担するだけでなく、逆に資金援助をいただきながら開発できるのは本当にありがたいとのこと。
また、中途採用した、3年半以上ケニアに駐在経験がある社員の存在は大きかった。ケニアに詳しく、行動力やものの考え方、語学力が優れていたため、彼の入社を機に、社としてアフリカへの展開に尽力することになった。 「アフリカの若者のための産業人材育成イニシアティブ(ABEイニシアティブ)『修士課程およびインターンシップ』プログラム」に参加した時、100社ぐらいあった受け入れ先の中でも、同社のブースだけに列ができ、初回から15人が来てくれた。平成28年8月にナイロビで初開催された第6回アフリカ開発会議に参加した時にも大反響だった。それに手応えを感じ、アフリカでやらねばとJICAのアフリカ調査にも応募した。
「こんな人材が欲しい!」と積極的に動くようになってから、初めて求める人材が集まるようになった。京セラで海外営業をやっていて成績1位だった人材、千葉大文系出身でモザンビークで生活していた人材、ホンダのエンジン開発のプロジェクトリーダーを務めていた人材など、みんな30歳前後で途中入社の人ばかりだが、そういったキャリアを持った即戦力の人材の採用には今後も力を入れていくそうだ。
今後は民間企業と積極的に組んで、ビジネスを展開
インドのインパールへも見学へ行った。マニプール州の野党党首があらゆるビジネスを展開しており、彼がヤングファーマーズクラブをつくり、肥料を安く提供し、米の買い取りなどを行うということで親を7年かけて説得して、働かなくてよくなった子どもを学校に通わせることに成功している。インドでの展開は彼と契約を結んだ。東南アジアも、マレーシア、カンボジア、ラオスなどにも話はたくさんあり、来年ぐらいから営業スタッフを付けて動く予定である。 これからは、いかに同社の装置をたくさん採用させ、地球全体規模の大きなインパクトを与えられるかを考えている。それには何よりもスピードが一番の課題。政府や自治体との取引であるB to Gの話が多いが、インドのように企業間同士のB to Bの方がはるかに早い。 政府の仕事に携わるのももちろん大事だが、優良な民間企業にも営業をかけていこうと考えている。しばらくはボツワナとケニアの2国を拠点に絞って進めていく予定だ。 また県内の民間企業では、自動車のリサイクル業を営む株式会社会宝産業と提携して、古いタイヤの処理を考えている。なぜなら、タイヤはどう置いても水が溜まってしまう形状をしており、アフリカでは蚊の温床となっているからだ。マラリア、デング熱など、蚊を媒体とする病気がたくさんあるので、タイヤの処理もまたビジネスになるだろうと思ったそうだ。タイヤを処理すると、炭が2割から3割できて、軽油相当のオイルが4割とれる。鉄が1、2割。残りのガス成分は燃やせばいい。そんなに難しくなくて、簡単な装置で、タイヤを破砕せず丸ごと投入して処理できるものを検討している。 近い将来、「環境問題が発生したら日本の明和工業に相談」という言葉が世界中で聞かれるかもしれない。
聞き手・文
村田 智(IT ビジネスプラザ武蔵交流・創造推進事業運営委員会ディレクター、株式会社MONK 代表取締役)
◆明和工業 株式会社 1964年、金沢市薬師堂町で鉄工所として創業。現在は、研究開発型のニッチトップ中小企業へと成長。有機ゴミを農業用やエネルギー用の炭にする「バイオマス炭化装置」や、農業用の集塵装置や排水処理装置等を中心とした環境プラントの設計・製造を行い、持続可能な世界の実現に貢献。著名な研究機関や省庁との産官学連携により培った技術で、国外にも事業展開する。