企業取材レポート

レポート

北陸製菓株式会社

話し手:企画開発部 西川陽平さん

市内のものづくり企業の独自の技術や取り組みの情報を取材し発信することで、市内企業及びものづくり産業の発展につなげることを目指す企業取材レポート。

第2回は、「北陸製菓株式会社」。聞き手は、村田智ディレクター。

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会社の敷地内に入ると、ビスケットが焼ける時のそれなのか、甘〜い香りに体が包まれる感覚がした。「幼少期から慣れ親しんできた味は、ここで作られてるんだな・・・」と感慨深いものがあった。
ノスタルジックな気分で本社事務所に伺うと、今回取材に応じてくれた広報担当の企画開発部の西川さんが笑顔で迎えてくれた。第一印象は「うわ〜、hokkaって感じのオシャレで優しそうな人だ!」だった(笑)

北陸製菓

子どもが笑顔になる菓子をつくり続ける

はじめに西川さんから会社概要を説明していただいた。
1918年、金沢で「日本あられ株式会社」として創業し、米菓の製造を行っていたが、ほどなく「北陸製菓株式会社」と社名を改めた。戦時中は軍の指定工場となり、カンパンの製造を担った。戦後は学童パンやビスケットの製造に着手。「お菓子を通して、子どもたちの健康に貢献したい、また甘い菓子を食べて幸せな気持ちになってもらいたい」との思いを商品に注いでいる。中でも「ハードビスケット」は、1978年から今なお製造を続けているロングセラー商品である。
余談だが、北陸製菓のカンパンには、色鮮やかな可愛い金平糖が入っている。これには「カンパンは非常食の役割も果たしており、お客様が召し上がるのが災害時であることも想定される。災害時は何かと心が寂しくなるので、せめて可愛く甘い金平糖を味わうことで、少しでも明るい気持ちになっていただきたい」という気持ちが込められているそうだ。

北陸製菓

「hokka60」ブランド誕生が大きな転機に

今回取材にお伺いした最大の理由が、「なぜ、創業100年を迎えようとする歴史ある会社が、会社名の頭に「hokka」という冠をつけることになったのだろう?これって結構勇気のいることじゃないか?」という疑問であった。
聞くと、そこには長く抱えていた経営課題が影響していた。
実は、北陸製菓は長い歴史を重ねてくる中で、「ホッカ」「北陸製菓」「ホクリクコンフェクショナリー」「HORICO(ホリコ)」と、その時々で愛称が変わってきた。それゆえ北陸製菓のお菓子のイメージの統一が図れず、消費者に伝わりづらいという課題を抱えていた。
そんな中、デザイン性の高い生活用品の販売などを行う、東京のD&DEPARTMENT INC.(ディアンドデパートメント株式会社)が取り組む「60VISION(ロクマルビジョン)」を知った。60年代に生まれた企業の原点ともいうべき商品を復刻し、そのものづくりの価値を再度掘り起こすというプロジェクト内容に、経営陣をはじめ、商品企画チームも共感。参加を希望したところ、D&DEPARTMENTの創設者であり、デザイン活動家のナガオカケンメイ氏も面白がってくれ、2007年、「hokka60」ブランドとして、「60VISION」で初めての食品部門に参加することになった。
この「hokka60」の商品化で北陸製菓を表す相応しいものができあがったと感じ、これを機にイメージ統一化の課題もD&DEPARTMENTへ相談。D&DEPARTMENTのデザインコンサル部門であるD&DESIGNがブランディングのサポートを行うことになり、本格的に「hokka」のブランド化がスタートした。「hokka」のロゴ入りのナショナルブランド商品はすべてD&DEPARTMENTがデザインを担当。一方、キャラクターのコラボ商品などに関しては北陸製菓が版権の使用許可をとり、社内デザイナーが制作に携わる。商品デザインに関しては、この2本柱体制で運用している。
ブランド立ち上げ当時、これまでなかった社の目印となるロゴをつくり、そのデザインには必ず輪っかを入れるというルールを設けたそうだ。この輪っかには「弊社のお菓子を食べて、笑顔になってくれた人たちがつながり、大きな輪になっていけば」との願いが込められていて、商品ごとに異なるデザインの輪があしらわれている。(説明しながら、ニコニコ顔の西川さんが様々なデザインの輪を見せてくれた)D&DEPARTMENTのプロデュースによる「hokka60」リリース以降は、できるだけ社名の前に「hokka」と冠をつけてアピールしているそうだ。

北陸製菓

D&DEPARTMENTに対しては、「hokka」のことを社員同様に(西川さんによると、「社員以上かもしれない(苦笑!)」とのこと)よく理解してくれていると厚い信頼を置いて、ブランディングについては、自分たちだけでなく、D&DEPARTMENTの協力も得て、現在も一緒に進めるスタイルをとっているそうだ。
こうした外部リソースとの協業、言い換えると「外部の血をバランスよく入れる」ことによってオープンイノベーションを促すという経営スタイルは、昨今イノベーションが求められている中小企業にとって、参考になるのではないかと思う。

新たな道筋をつけた「米蜜ビスケット」

2015年5月、「米蜜ビスケット」を発売した。この商品は、ある日、開発担当者がテレビで、糀料理研究家として活躍する小紺有花さんを知り、「金沢は発酵食文化が深く根付くまちだ」と再認識し、ご本人に商品開発のアプローチをしたことがきっかけとなったとのことである。
アレルギーなど、食に関する悩みや問題を抱える人が多い現代には、小麦粉、乳、卵が含まれていると食べられないという食生活の制限によって、ストレスに苦しむ方も少なくない。小紺さん自身もお子さんに同様の悩みを抱えていることもあって、この課題解決の必要性に共鳴してもらえ、話をするうちに「発酵」という観点から、この課題解決につながる商品を、いっしょにつくることはできないかと検討していくことになったそうだ。
これは、北陸製菓創設時の「お菓子を通して、子どもたちの健康に貢献したい、また甘い菓子を食べて幸せな気持ちになってもらいたい」との思いにも通じるところがある。
小紺さんから出た様々な案の検討を重ねた結果、動物性素材を一切使用しないビスケットを製造することに決定した。しかし、これは簡単ではないことが想像できた。卵も乳も使わないお菓子は、ともすれば味気なくなってしまうからである。それでも、何とかおいしいと言ってもらえるお菓子をつくりたいとの強い意気込みは衰えなかった。この意気込みに小紺さんも応えてくれた。俵屋の「じろあめ」やヤマト醤油味噌の「玄米甘酒」を使うという新しい視点を与えてくれた。この「新しい視点」を取り入れたレシピに挑戦しようと、俵屋とヤマト醤油味噌の各企業に「原料として使わせてほしい」と依頼した際には、先方からも高い関心を持ってもらい、快諾を得ることができたそうだ。

西川さんは開発当時をこう振り返る。
「小紺さんはプロフェッショナルな方です。それゆえ妥協することを許してくれませんでした。高い水準が求められたため、開発現場には苦労をかけたかもしれません。ですが、小紺さんや企画側の思いをしっかり汲み、開発に前向きに取り組んでくれました。そのおかげで、互いの譲れない点を理解し合い、詰めていきながら、最良の製品を仕上げることができました。加えて、弊社の研究室で量産にも耐えうるよう調整していき、企画から試行錯誤を重ね、5年以上の長い年月を経てようやく完成にこぎつけました。単に地産地消の材料を使ったということだけに留まらず、「じろあめ」や「玄米甘酒」といった金沢らしい食材によって、乳・卵を省いた分のコクと旨味を補完できたことの意義もとても大きい。監修者である小紺さんの協力はもちろんですが、弊社の2名の研究開発スタッフが、今まで長年積み重ねてきた豊かな経験や知識、技術を活かして、見事にかたちにしてくれた賜物でもあると思います。これは、100年近い歴史があったからこそ実現できた製品だと自負しています。弊社の方針としても『金沢のお菓子屋さん』であることを重視していきたいとの思いが強かったため、地産地消のテーマをクリアし、地方ブランドの方向性、これから弊社がつくっていきたいお菓子の方向性にとっても、良き道標となるお菓子になったと嬉しく思っています。」

北陸製菓

若い女性の感性を商品開発に活かす

北陸製菓には、基本的に開発の流れが2通りある。営業現場から「こんな商品が欲しい」と声が上がるケースと、企画の人間がアンテナをはり、「これから求められるのはこういうお菓子だ」と社内で提案して通ったものが商品化されていくケースだ。だが、最近その流れが顕著に変わってきているそうだ。
そもそも、女性客がメインターゲットの菓子業界で長くやってきたとはいえ、開発チームのメンバーは男性がほとんどだった。ここ数年は社内での理解も得られ、若い女性が中心になって企画を行うようになった。彼女たちが主体となり開発を進めた商品の第一弾が、「素材でカラダ想い」シリーズだ。現在「ソイタルト」(2015年発売)と「素材でカラダ想い ココキャロブ」(2016年発売)の2種類が販売されており、商品群の中ではコンセプトやパッケージの雰囲気も少し異質だ。だが、これまでにない方向性を打ち出すことで、取り扱い販売店でも従来とは違う陳列棚に並べてもらえるようになり、別の可能性が見えてくるきっかけとなった。

これまでは「素朴」「懐かしい」「温かい」「優しい」といった商品イメージを守り続けてきたが、それだけにとどまる必要はないと、北陸製菓では考えているようだ。古くて懐かしいものをただ守るだけでなく、「懐かしいけど、新しいもの」を生み出すために、その時々の新しい素材の採用にもチャレンジしている。「素ココキャロブ」には、希少糖を使い、「キャロブ」というスーパーフードを取り入れ、ヘルシーと美を商品コンセプトとしている。キャロブは、マメ科の素材でカカオに似た味わいを持ちながら、カフェインを含まないうえ、水溶性食物繊維が豊富に含まれているため、とりわけ便秘に悩みがちな女性にはうってつけの商品となっている。そんな若い女性ならではの発想やひらめきで生まれた商品が実現されているところも、近年の「hokka」の面白いところだ。

北陸製菓

「北陸製菓」の菓子を広めるために

ナショナルブランド商品以外には、「ムーミン」「サンリオ」「はらぺこあおむし」などのキャラクターのライセンスを取得して商品を展開している。中でもムーミンの商品の取り扱いは、相性の面から長きにわたる。「hokka」の菓子にふさわしい世界観を持ったキャラクターであることが、起用するにいたった理由のひとつである。また、ムーミンという人気キャラクターに「hokka」の菓子を広く知ってもらうのを手伝ってもらいたいという思いもある。
「『ムーミンに手伝ってもらう』というのが素敵な考え方ですね」と相槌を打つと、すかさず納得の答えが返ってきた。
「キャラクター使用のメリットは、普段は知ることのない入口から会社や製品を知ってもらうことができるところです。おしゃれなボトルは雑貨屋にも置いてもらえ、雑貨好きの人にも知ってもらえます。そういう入口が増えることにつながるので、キャラクター使用のロイヤリティーを支払っても、それを補って余りあるプロモーション効果があると判断し、現在も継続しているんです。いくらおいしいお菓子でも、手にとってもらえなければ食べていただけませんからね。」

金沢らしい安心のお菓子をこれからも

最後に、西川さんに「hokka」の今後の抱負を語っていただいた。
「『hokka』のブランディングを始めて約10年。企画部内では、だんだん『hokka』の認知度が高まってきたという手応えを感じています。例えば、多くの雑誌で取り上げていただいたほか、第2回『スヌーピーミュージアム』では『hokka60』とスヌーピーのコラボ商品として、hokka60のボトルにスヌーピーが登場したデザインが生まれました。そんなふうに他社から声をかけてもらえるようになり、これまでやり続けていた甲斐あって、ようやく芽が出てきたと実感しています。来年100周年を迎えるにあたり、『hokka』がどんな会社かこれまでよりいっそう明確に示していかねばと気持ちを引き締めています。
それには何よりも、『金沢の菓子屋』『金沢のビスケット』なのだということを、パッケージや素材づかいを通して、長年やってきた『hokka』だからできるお菓子を突き詰めていきたいです。」

聞き手・文

村田 智(IT ビジネスプラザ武蔵交流・創造推進事業運営委員会ディレクター)

◆北陸製菓株式会社
1918年(大正7年)、金沢市堀川町に日本あられ株式会社を設立し、米菓製造を手がける。1925年(大正14年)、北陸製菓株式会社に社名変更。現在は、金沢市押野町に本社工場を構え、ビスケット、カンパン、煎餅の製造、企画、販売を手がける。D&DEPARTMENTやキャラクターとのコラボ商品も展開し、全国的に商品を広める。自社商品を販売する直営店「金沢彩匠」も持つ。

(取材日:2017年7月19日)