#73
担当ディレクター:福島 健一郎
毎日、私たちはいろいろな香り(匂い)にあふれた世界で生きています。 この香りは、生活の質や働き方の向上に大きく関わるものであることをご存知ですか?
香りは人間のやる気を向上させたり、精神を落ち着かせたりする力があると言われています。
今回は、香りの基本からお話を聞き、生活にどう活かしていけばいいか、自分にプラスに働く香りをどう見つけていったらいいのかをお聞きします。
ゲストスピーカー : 茂谷 あすか 氏(BLISS)
====================================================================茂谷さんが調香師になるまでの経緯
ディレクターの福島さんが茂谷さんと出会ったきっかけは、茂谷さんが主催する調香ワークショップに参加したことだった。元々香りには敏感なタイプなので、香水はほとんどつけないのだが、ワークショップで自分の好きな香りを調合した香水は嫌な感じがなかったという。香水は鞄に入れてあり、何かを取り出した際にふわっと自分が好きな香りがすると安心できるという経験から、茂谷さんをゲストに呼び、香りの話をしたいと思ったのが今回のモチモチトーク開催の経緯だ。
まずは茂谷さんが「どうして香りの世界に興味を持ったのか」から紐解いていく。小さいころから香りに敏感で香水はずっと苦手だった茂谷さん。また、自然を守りたいという思いから、高校卒業後に渡英し、環境学を学んだ。大学を休学し有機農園で1年間農業を経験し、その体験が現在の調香師としての礎となっている。人間が開発を進めると環境破壊を起こすという矛盾について考えてきたが、経済を知らなければ環境の改善に繋がらないと考えて就職。社会人のときにオーガニックカフェでエッセンシャルオイルを使った料理を食べたとき、香りの力強さに打ちのめされるような衝撃を受けたという。「香りを通して瞬時に自然と繋がれる」ということを体感した瞬間だった。
ちょうど環境を守る仕事に携わりたいと思いつつも、会社の組織の一員であることは自然を守るという軸に相反する部分もあり悩んでいた時期だった。そんなときにエッセンシャルオイルに出会ったことで「自然は理屈抜きに、素晴らしい恵みと豊かさを与えてくれる」ということに気づき、自分が自然にどう向き合うかのヒントに繋がった。
以来、天然香料を追求し、少しずつ買い揃え、調香を学び、2015年より調香の仕事を始める。日本では、香水は化粧品に分類される。そのため化粧品製造業許可や化粧品製造販売業許可などを取得していないと、オーダーメイドの香りを製作しても、「アロマ」「雑貨」という扱いになってしまい、使うときは自己責任でお願いしないといけないという中途半端な状態で仕事をすることに後ろめたさがあった。 自らの手で妥協のない香水をお客様に届けたいという思いから、天然香料の魅力を最大限に引き出す香水を創ることを目指し、パフューマリーの立ち上げを決意。理系の大学で香料について一から学び直し、2021年に石川県金沢市でパフューマリーを設立した。
現在はBLISS Natural Perfumeryという小さなアトリエで自然香水をベースにオーダーメイド・小ロットOEMの香水類・アロマ化粧品・フレグランスの製作を行っている。茂谷さんのパフューマリーは、化粧品製造所としては日本一小さい規模かもしれない。
どうして自然香水へたどり着いたか
エッセンシャルオイルに出会うと最初はアロマテラピーに触れ、アロマセラピストを目指す人が多い印象がある。アロマテラピーとは、植物から採取される精油(エッセンシャルオイル)を使用する芳香療法だ。
エッセンシャルオイルは植物由来の成分を100%使った無添加のオイルとされている。植物のエッセンスがぎゅっと詰まっているため、直接肌に塗ったりはできない。ボディケアをするときはアロマオイルを使う。
アロマオイルは、化学的に合成された香料をベースにしたオイルだ。化学物質や合成香料が添加されたものは、安価なため日常的に香りを楽しむのに適しているが、エッセンシャルオイルの成分が一切入っていないものもある。
茂谷さんがアロマセラピストへと進まなかった背景には、メーカーごとにアロマオイルの品質が異なることや、化学物質や合成香料が添加されているものが自身に合わなかったことがある。
BLISSの香水の特徴は、自然の香料を使っていること。原料は最高品質の有機栽培種・野生種・天然由来原料を使用している。さらに生産工程に関わる全ての人々と生き方を尊重し、また環境への負荷の少ない方法で製造するという徹底ぶりだ。
香水は、香料、エタノール、精製水を混ぜ合わせることによって作られる。香水の製造にはアルコール濃度95%のものを使うという。BLISSで使用するエタノールは、お米を発酵させたエタノールだ。ここまでこだわるのかと、驚きを隠せない。
しかし、天然香料のウィークポイントがある。香りの持続性が弱い点だ。人工香料に比べて香りが変化することもある。最初はそれぞれの香りが尖っているのだが、時間がたつにつれて角が取れて丸くなっていくという。時間の経過によって匂いが変化するのも天然香水の面白いところである。
天然香水を調香した直後は、それぞれの香りの個性が強く、主張が激しい。時間がたつにつれてだんだんと馴染んでいく。香りを落ち着かせるため、静置する時間を取る。香りを熟成させる。ウィスキーを寝かせるのと同じくらい大事な工程なのだ。
福島さんのように香りに敏感で香水は苦手という人でも天然香水は気に入ってもらえることが多い。地球からの恵みでできた香水を通じて、自然と人とを結び、癒しや活力を与えることが茂谷さんの喜びなのだ。
茂谷さんが展開する香水
茂谷さんが最も得意とするのはオーダーメイドの香水だ。それは、相手のことを理解した上で会話を重ね、香りの好みを聞いていくうちにイメージが形作られ、最終的に調香されるのだという。
ホームページを見ながら、茂谷さんが販売する香水を紹介してもらったが、そのラインナップはとてもユニークだった。 中でも珍しかったのは、手紙を通じてオーダーメイドのフレグランスを作るサービスだ。言葉と香りを紡ぎ、感覚を研ぎ澄ませていくうちに、香りがぴたりと一致する瞬間が訪れるのだという。まさに、自分だけの香りを探す旅を、茂谷さんがサポートしてくれるのだ。
また、1st Collectionという勇敢な女性に捧げる香水を毎年発表している。
パルファン 1001 Nights
パルファン『1001 Nights』は千夜一夜物語の語り手であるシェヘラザードに捧げる香水。千夜一夜物語は九世紀頃に中東に生まれた物語集だが、最大の特徴は、シェヘラザードという語り手が王様に物語を語って聞かせるという設定だ。中東が舞台である千夜一夜物語は独特の香りが漂ってくるイメージを持つ人も多いのではないだろうか。
パルファン Amor Mundi
パルファンAmor Mundiは、時代の荒波に翻弄されながらも、他者とともに生きる世界を信じている20世紀を代表する思想家ハンナ・アーレント(1906-1975)に捧げる香水だ。第2次世界大戦中にナチスの強制収容所から脱出し、アメリカへ亡命したドイツ系ユダヤ人でもある。激動の時代に信念を持って強く生き抜いた姿をイメージしている。
パルファン Myrtestränen
音楽家クララ・シューマンに捧げた自然香水。作曲家ロベルト・シューマンの妻であり、世界で初めて女性ピアニストとして活躍した音楽家だ。8人の子どもを出産し育てた芯の強さがある女性である。
このように茂谷さんは、勇敢な女性にスポットを当てて、香水を作っている。人をイメージして香水を作ることは珍しい。茂谷さんの香水のインスピレーションはその人の生き方や、活躍した土地、生涯かけてきたものまでを香りと結び付けて調香していく。時間をかけて香りも想いも熟成させているのだ。
香水についてあれこれ
香水にまつわる話は尽きなかった。
・お香
日本で香りといえば、「お香」をイメージする人も多い。白檀(びゃくだん)や伽羅(きゃら)は奈良時代から存在する。お香の原料は草根木皮を粉末にしたものだ。花や葉、果皮、根など、植物から抽出するエッセンシャルオイルとはまた違う香りの楽しみ方だ。高級なものは天然のものを使っていると思うが、人工香料を使っているものもある。香水と大きく違うのは燃やして出た香りを楽しむこと。温度とスピード、そして香りの内容をコントロールしたものがお香なのだ。
・香水の語源と歴史
香水=parfum。英語では「パフューム」、フランス語では「パルファム」と発音する。香水のはじまりはparfumの語源「per fumum(煙を通して)」にも通じるところがある。香料を燻蒸する神事に遡り、古代より火や香りは神聖なものとして崇められていた。
香料は自然のものから蒸留して抽出するため手間がかかるため、マリー・アントワネットの時代は貴族が愛用する高級品とされていた。だがナポレオン3世の時代に合成香料が発見された。合成香料の登場で香水の量産が可能となり、民衆の化粧品へと広がっていった。
・香水界の革命児
香水に新時代が訪れたのが、1921年の「シャネルNo.5」の登場だ。ジャスミンとローズをベースにイランイラン、ネロリ、ミュゲを加えたフローラルブーケの香りにアルデビドで華やかさをプラスしている。こうして香水は合成香料が主流になるが、天然香料を使った香水も出てきているという。
・味覚と嗅覚
食べ物の味と香りは、お互いに影響しあって、味わいを強めているそうだ。鼻が詰まっていると、味覚が分からないという経験があるように、人間は味の違いを嗅覚で判断しているというのが最近の研究でわかってきたという。
・匂いと記憶
匂いは記憶ともリンクしている。人間の五感の中でも、香りを感じる嗅覚だけが記憶をつかさどる脳の海馬へと信号を送れるのだ。そのため香りと記憶が結びつくという場面に遭遇することがある。海馬は記憶の保管庫のような役割を持っている。匂いでその時に感じた記憶や感情も呼び起こすことがあるのだ。
まとめ
調香師とは自然と向き合い、本当の幸せ・豊かさを問い続け探求する職業だと話す茂谷さん。環境問題に関心を持ち続け、美しい地球をどう守っていくかを考え、たどり着いた調香師。これからは自分自身でも香りの抽出をしていきたいと語る。環境問題は政治経済や技術革新だけでは解決しない。ひとりひとりの行動はささやかかもしれないが、美しい地球を次世代に繋げていくために、淡々とできることを一つずつ進めていた。自然香水を通じて、世界の調和について向き合いたいという熱い情熱を感じさせるものだった。
話し手
茂谷 あすか 氏(BLISS)
聞き手
福島 健一郎(ITビジネスプラザ武蔵交流・創造推進事業運営委員会ディレクター、アイパブリッシング株式会社 代表取締役)