#60
担当ディレクター:久松 陽一
毎回、さまざまなジャンルで活躍する方々をゲストスピーカーに迎え、彼らの活動事例などから新たなビジネスにつながるアイデアの糸口を探るディレクターズトークセッション。
今回は、記者をやめ、突然アマゾンのジャングルマラソン250kmを完走したライターでありながら極地ランナーの若岡拓也さんをお呼びします。「書くこと」も「走ること」も対照的にみえて実は同じ、それを突き動かすのは好奇心と語る若岡さん。好奇心は人をクリエイティブにするのだと思います。ジャングルでの話、山口から青森まで3000kmなど、とてつもないエピソードから好奇心の力を探っていきます。
【ゲストスピーカー】
若岡 拓也 氏(ランナー/ライター)
トレイルランニングとの出会い
登山道やジャングル、砂漠など、あらゆる自然の中を走るトレイルランニング。トレイルランニングの歴史は浅く、名が付けられたのもここ15年ほどだ。10km未満から390kmと、大会によって走る距離はさまざま。1番長いもので390kmもの距離を走ったことがあるという。
もともと元新聞記者である若岡さんがトレイルランニングと出会ったのは、取材時。
「新聞記者をやっている時に、こういったことをやっている方を取材させてもらったんです。時間をかけ何かをやりたいなと思っていた時に、それを思い出しました。面白そうだしやってみようかなっていうのがきっかけでしたね」
そして2014年には新聞記者を辞め、ブラジルの密林を1週間かけて250km走るステージレース「ジャングルマラソン」に出場。初めての大会にして、3位という驚異的な結果を残した。
仕事をやめてからというもの、毎日ずっとトレーニングを繰り返していた若岡さん。最初は3kmくらいで吐きそうになっていたものの、地道な努力と粘りが功を成したのだった。
「ジャングルマラソンでは、足場の悪いジャングルのなかを走っていました。体中にダニが毎日ついていたり、蜂にたくさん刺されたり。さらにスタッフは、淡水のエイに刺されたりと、けっこう無茶苦茶な大会でしたね」
一度切りの参加だと思っていたが、どんどん人に誘われていくうちに、トレイルランニングにハマってしまったという。
「自然の中を走るのが好きなんです。なぜ山に登るのかと聞かれたら、なぜお酒を飲むのかと聞かれているのと同じなんですよね。趣味志向の話だと思っていて。最近あまりお酒は飲まないんです。肝臓にも悪いのになんで飲むんだろうって思っていて。こんなに過酷なトレイルランニングをなぜやっているの?と思っている方が大半だと思うんですけど、お酒と一緒なんです。やっている本人が楽しければそれでいいんじゃないかと」
それからというもの、モンゴルやメキシコ、ハワイと、さまざまな大会に出場してきた若岡さん。
「ただ走りに行くだけだともったいないと思ったので、何かみたいものがあったり、体験したいものがあったり。そういったことを盛り込みながら大会に出場するようにしています。複合的な目的があるので、なんだか得した気がしますよね」
日本山脈縦走
さまざまなレースに出場し、世界中を駆け巡っていた若岡さん。新型コロナウィルスの影響で、2年ほどレースにでることができなくなった若岡さんが目を付けたのが日本の山だった。
「コロナになり、時間を持て余していた時に辿り着いたのが、本州を縦断するということだったんです」
その決断のもとになったのが『日本山脈縦走』という一冊の本である。山口から富士山を目指す隊と、青森から富士山を目指す隊の2隊に分かれ、山をつたって縦走していく企画を、60年ほど前に読売新聞が企画したのだ。
当時は、縦走するにあたってのコース整備などを含め、延べの2000人もの人員を費やして実施されたこの企画。現代の装備品技術があれば、自分でもできるのではないかと思い実行することに決めたという。
「3000㎞にもおよぶこのコース。本には、細かくルートが書かれている訳ではなく。途中で地名がとんでいたり。ジープで8時間移動とか書かれていたり。その空白部分をどう埋めていくのか、自分で考えないといけなかったんです。わからないところが多ったのですが、行けるところは行こうというスタンスで。出たとこ勝負なところはありましたね」
おおまかにはルートを引いておきながら、現地で判断しながら進んでいた若岡さん。途中まではキャンプ場などでテントを貼って野宿していたというが、体調を崩し、途中からはほとんど宿に泊まっていたそうだ。
「毎日白山に登りながら、さらに1日50㎞くらい進んでいる感覚ですかね。30から40㎞ほど、何もない山奥のダムの周りを永遠と進むだけだと補給できる場所もなくて。僕はサポートを募集し、いろんな人に助けてもらいながらやっていたのでなんとかなっていました」
山口県の秋吉台をスタートしてまずは富士山を目指し、そこからさらに青森の八甲田山まで進み、全行程3000kmを2ヶ月ほどで踏破。無事に旅を終えたのだった。
ブータンで超過酷なSnowman Raceに出場
世界でもっとも幸せな国ブータンで行われたのは、高山地帯で行われるかなり過酷なレース「Snowman Race」。実はこのモチモチトークの前日までブータンにいた若岡さん。
「今まで行われた大会の中でもかなり過酷で特殊な大会でした。最高標高が5,500m近くと、かなり高度が高い場所で、エベレスト登頂よりも難しいといわれるルートをコースにした大会でした。知り合いに聞いて3年前にエントリーしたんです」
ただ、特殊なのはルートだけではなかった。直前まで参加費が明かされなかったことに加え、「大会に参加することであなたができる気候変動に対するアクション」というテーマの英作文を書かされたのだ。
想いは無事届き、大会に参加できることになった若岡さん。蓋を開くと、この大会は国をあげての一大イベントであることがわかった。なんと、この大会はブータン国王が打ち出した国をあげての大イベント。よって、タイまで行けば、あとの費用はブータン側が負担してくれるというVIP待遇が待っていたのだ。
ブータンは「ハードネガティブ」という二酸化炭素の排出権を他の国に売って外貨を得ている珍しい国。法律でも国土の6割以上が森林でなければならないと決められており、自然を大切に守っている国なのだ。それにも関わらず、気候変動に影響を受けて、自国で大洪水がおきたり、氷河が溶けたり。そういった現実を受け、気候変動の影響を全世界に伝えたいと、国をあげて大会を立ち上げたのだという。
「宿泊費の負担をはじめとし、寺院巡りのツアーに連日連れて行ってくれたり、夜は元首相に会ったり。大会後には王様夫妻に謁見したりと、かなりのVIP対応を受けました」
参加者は、さまざまな大会で優勝している人たち。まさに猛者たちを集めて行われた大会だったが、22人中完走したのはたったの8人だけだった。聞けば、5000mという体験したことのない高度が肝だったという。
通常は高度に順応するため、毎日少しずつ高度をあげて1ヶ月ほどかけて体を慣らしていくのだが、ブータン到着後はVIP待遇を受けながら観光していたため、体の準備がまったくできていなかった。準備不足のままレースに挑まなければならない環境が選手たちを苦しめていたのだ。現にブータン人選手は9人全員完走しており、高度に順することの大切さを証明してくれた。
「標高5000mだと、水を飲むだけで息があがるんです。初日はなんとか走っていたんですけど。途中でふわっと意識が飛びそうになった瞬間もありました。酸素が薄いので、感覚も普段と変わるというか。元気なはずなのに、お酒に酔っているかのようなフワフワした感覚に常に陥っていましたね」
高度に順応することの大切さを思い知らされた若岡さん。
「初日でリタイアしようと思ったのは初めてです。日本でも低酸素ルームなどでトレーニングしていたんですが、思っていた以上に高度に順応することへの難しさを実感しましたね。自分ではしっかり走っているつもりでも、時計を見ると、歩いている時よりも遅いんですよ。走っているのに全然進まないので、毎日へこんでいました。こういった感覚は今まで味わったことがなかったので新鮮でした」
そんな過酷な状況のなか、なんとか完走を果たした若岡さん。「競技としては物足りない結果に終わってしまったんですけど、得るものはたくさんあったので、いい経験ができたなと思います」と、にこやかに語ってくれた。
また、過酷な環境下で走っていたため楽しむ余裕はなかったそうだが、道中には絶景が広がっている。
だが、そんな絶景には気候変動の影響が垣間見える場面も。氷河がとけてできた氷河湖をはじめ、その水が抜けた際に起きた洪水で流された温泉街など、気候変動によって被害を受けた場所もコースに組み込まれていたという。
「書く」と「走る」の関係性
まだ見ぬ風景を求めて走ることと、「知らない」に触れて書くことは、対照的にみえて実は同じだという若岡さん。
「走るというのは、ひとつの表現方法になり得ると思っています。今回のブータンでも、過酷な環境下で走ることによって、『気候変動を知ってもらい、改善していこう』というストレートなメッセージがより世界中に伝わったのではないかなと思います」
歩を進ませ、筆を進ませるパワーはどちらも好奇心。知らない場所に行き、未経験であることを体験することに価値を見出し、チャレンジし続けているのが若岡さんだ。
「できることを惰性でやるのも楽しいですが、そうでないことにチャレンジできることの方が断然楽しいです。一度うまくいかなくても、それはそれでオッケー。まずは、どう転ぶかわからない状況で挑戦すること。うまくいったらまた見える景色が変わりますし。一度うまくいかなくても、そこで得るものは次に生かせるので。局地的にいったら失敗かもしれないことは、次でうまくいけば、結果的にいい経験を積んで全部成功したなと思えるんです。そう考えていたら、どう転んでも失敗しないですからね」日々若岡さんを突き動かしている好奇心。この好奇心こそが人をクリエイティブにし、さらに人生を楽しく生きるコツなのかもしれない。
------------------------------------------------------話し手
若岡 拓也 氏
(ランナー/ライター)
聞き手
久松 陽一
(ITビジネスプラザ武蔵交流・創造推進事業運営委員会ディレクター、株式会社andyo 代表取締役)