#53

2021.08.20

好きな場所でクリエイティブに働く
~新しい起業の形~

担当ディレクター:福島 健一郎
毎回、さまざまなジャンルで活躍する方々をゲストスピーカーに迎え、彼らの活動事例などから新たなビジネスにつながるアイデアの糸口を探るディレクターズトークセッション。

令和3年8月20日、第53回のモチモチトークは、「好きな場所でクリエイティブに働く - 新しい起業の形-」。聞き手は、福島 健一郎。

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が全国的に広がりを見せるいま、働き方が見直されています。何のために働くのか、どう働くのか。働き方が多様になり、自分の幸せが何かを見直している人たちも多くなってきています。同時に、必ずしも都市部で働く必要がないのではと感じてきている人も増加している昨今。

そのような中、地元である能登町宇出津に拠点を移したのが、デザインプロダクション株式会社SCARAMANGA(スカラマンガ)です。

今回は、「能登町から未来を創造する」と発信しているSCARAMANGAの代表である辻野さんに、都市部ではない場所での働き方、生活、クリエイティブな活動についてお話を伺います。

【ゲストスピーカー】
辻野 実 氏(株式会社SCARAMANGA 代表取締役 / コミュニティーデザイナー)

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石川県鳳珠郡能登町生まれである辻野さん。高校までは能登町で過ごし、大阪の大学へ進学。大学を卒業した後は、そのまま大阪にあるマーケティング会社に勤めていた。

しばらく大阪にいたが、能登半島沖地震を機に金沢に移住。金沢のシステム会社で勤めたのち、2012年にフリーランスとして独立した。独立するも駆け出しの頃は、泥臭いことの連続で大変苦労したという。

テレアポに勤しむも最初は1件も取れず。改善点を考えアプローチどころを変えてみると少しずつ仕事をもらえるように。まずは仕事を作るというところで、最初は他社よりも破格の値段で仕事を受けていたそうだ。

また、デザインの仕事は入金までのリードタイムが長い。そのため、最初はキャッシュを作るために、バナー制作などのお小遣い程度の案件も数をこなしていき、徐々に回収していったという。

そして2018年にデザインプロダクションである株式会社SCARAMANGAを設立。社員は辻野さん1人だが、フリーランスのグラフィックデザイナーやフォトグラファー、ライターと案件ごとにチームを組み、日々お客様の課題解決へのアプローチを行っている。

そんなSCARAMANGAでは、気多大社やハイディワイナリー、石川県作業療法士会などのさまざまな企業や組織のホームページ制作を手掛けており、動画制作も行うなど、飛躍中だ。

下請けから自社案件へ

これまでコーダーとして、さまざまなサイト制作を行ってきた辻野さん。下請けばかりの仕事に嫌気が差し、2016年に自社案件の比率を増やすべく、模索をスタート。試行錯誤するなかで、2019年には8(自社):2(下請)になり、今では自社案件のみで事業がまわるようになったという。

「意図的に自社案件を増やしていきましたね。36歳くらいの時、このまま下請けメインのフリーランスで年食ってくのダサいなって思ったんです。

当時、一緒にお仕事をさせていただくことが多かった元請けとなるディレクターの方が、10 歳ほど年下で。ふと自分は何をしてるんだろうって我に返って。

加えて、誰かやどこかの会社に頼って仕事をしていくのが、すごく不安定で危険なことだなと思ったんですよね。独立したのにまったくサバイバルしてないなと思って。

だからこそ、自社案件を増やして自分として成り立たせないと、独立した意味もないし、楽しみもないし……と思い、少しずつ自社案件を増やす方向へシフトしていきました。」

数年足らずで自社案件をグッと増やすことに成功した理由のひとつには、NOTONOWILDの存在も大きかったという。

「NOTONOWILD」プロジェクトとは

デザインを生業としている傍ら、プライベートプロジェクトとして2016年から始動したのが「NOTONOWILD(ノトノワイルド)」だ。

プロジェクトを始めようと思ったきっかけは、2030年には能登町が消滅する可能性があることを知ったことだった。

生まれ故郷がなくなるかもしれないことに危機感を覚えた辻野さん。過疎化の原因は「故郷に対しての誇りが薄れている」ことにあるのではないかと仮定し、プロジェクトを通して模索することを決意。自身が好きなHIPHOPとデザインのアプローチから情報発信を始めた。

「能登町の過疎化をどうにかしていきたいなと思った時に、町おこしや地域活性化と呼ぶのはなんかダサいなと思っていて。違うアプローチで、”ちょっと楽しげ”という感じのことをしたい思った時に思いついたのがNOTONOWILDでした。」

それを表しているのがNOTONOWILDのホームページにあるリード文だ。

”通称日本の寝癖。北陸のくるぶし。雪国、日本海、半島で独自に進化した文化はまさにワイルド。奇祭満載の能登町の普通じゃないワイルドなコンテンツをお楽しみください”

思わず圧倒されそうなほど異彩を放つ言葉たち。その圧倒的なインパクトから、面白がってくれる人が増えていき、地域の人々からの認知度もアップしていることを実感していったと話す。

「認知が広まったと同時に、『かっこよく能登を出してくれてありがとうな』というような声も地域からいただけるようになって。『誇りを取り戻す』という仮定のアプローチは、ある程度の導線が見えてきました。」

NOTONOWILDが自身のブランディングにも

NOTONOWILDを始めるまでは、自分は何者でもなかったという辻野さん。「フリーランスでコーディングをやっている人」の1人であり、何ができる人なのかを端的に説明できるものがない状態だったという。

しかし、NOTONOWILDの認知が広まっていくと同時に、辻野さん自身にもNOTONOWILDをプロデュースして運営している人というブランディングができあがってきたのだ。

そのブランディングのおかげで、仕事でアプローチできることが増え、依頼も増えていった。

つまりは、NOTONOWILDという自分メディアを持ったことが、歩く名刺代わりとなったのである。

「『能登=僕』という公式ができたんです。能登といえば僕を思い出してくれて、必要とされる事がすごく増えたんですよね。相手に対して、どういうリターンがあるのか明確にわかるようなものを持つのは、フリーランスとして絶対に必要なものだと思いました。」

能登というイメージがついた辻野さん。金沢で仕事をやるよりは、能登でやった方がより面白いコンテンツを生めると思い、能登へ戻ることを決意したという。

「能登では、確実にオンリーワンになれると思ったんです。

金沢でデザイン会社をしていても、絶対にオンリーワンにはなれないんですよね。でも、僕には幸いなことにNOTONOWILDというコンテンツがあり、ある程度の実績もありました。だからこそ、能登に戻ってきたときには土台がある状態での再スタートをきれました。」

自分の好きな場所で働くということ

NOTONOWILDを始めた2016年からは、週に2回ほど能登を訪れる生活をしていた辻野さん。正式に能登に移ったのは、2021年4月だった。

思い切って能登へ戻ると決意した裏側には、NOTONOWILDの存在も十分大きかったが、新型コロナウイルス感染症の影響も大きかったらしい。

家庭を持ち、お子さんもいる辻野さん。緊急事態宣言が発令される中での仕事や子育ては、とても苦戦したという。そこで、手助けをしてくれる両親や祖母もいる能登町に帰ることを決意したのである。

ひと昔前であれば、都会から田舎に戻るということは、都落ちのような印象を受けていただろう。しかし、コロナ禍で世界が変わり、自分が働きやすく生きやすい場所を選択しやすくなった。地元へ帰ることや田舎へ移住することが、ポジティブに捉えられるようになってきたのがいまである。

辻野さんの活動のようなクリエイティブと呼ばれる領域は、特に場所を選ばずに働きやすい。

ワーケーションや2拠点生活、アドレスホッパーなど働き方が多様になってきている昨今 は、電車に揺られながら都心のビルに向かうなんてことだけではなく、自分の働きやすい場所で、クリエイティブな活動ができる時代になってきているのだ。

辻野さんが考えるデザインの形

デザインプロダクションを経営している辻野さんが考えるデザインには、大きな要素が3つあるという。情報収集と編集(エディット)と味付けだ。実はNOTONOWILDも、この3つの要素を上手に使って写真で表現しているらしい。

「まちの魅せ方を変えていくことで、まちの価値も見直され、新たな問題提起も生まれていきます。この時代では、この問題提起自体こそ、価値になりうるんですよね。」

そもそも、田舎に住んでいる人たちは、ただただ幸せに暮らしていきたいだけだと辻野さんは語る。幸せに暮らしていくために、土地や地域をずっと守っていきたいだけなのだそう だ。

「そのためには、そこで商いをする会社や人たちが必要で。そんな会社や人がうまくいくようなお手伝いをしていきたいです。そして、それが長く続くようなモデルでデザイン設計できたらなと。その土地に必要なモノやヒトが残るように、コミュニティーデザイナーとし て、SCARAMANGAとして、お手伝いできたらいいなと思っています。」

辻野さんが考えているデザインは、もはやまちづくりに近いのかもしれない。そんなデザインこそがきっと、人々の暮らしを豊かにしていくのだろう。

能登の人の価値を高めていきたい

辻野さんの今後の目標は、能登の人々の価値を高めていくこと。物に対して価値を付ける時代は、もう終わったという。

「氷見の寒ブリとか、○○蟹とか。そういう時代って、僕は終わったと思うんですね。レギュレーションを作り、ブランド価値を高めて品質を守っているのって結局は人なんです。

だから、能登においては、人に対して価値を高めていきたいなと思っています。
能登に住んでるこの人が作っているから安心だというような……。人にフォーカスしていきたいなと。『能登産だから』ではなく、『能登の人が作っているから』にシフトできたら、素晴らしいものが生まれるんじゃないかと思っていて。能登にとって、すごい財産になりますよね。」

辻野さんが今後やっていきたいことは、とても壮大なことでもある。しかし辻野さんのような人が、固定概念を変え、人を変え、ついにはまちの未来さえも変えてしまうのだろう。

今の時代、都市部で働き、生活することがすなわち豊かであることとは限らない。田舎だからこそ、挑戦できる楽しさがあり、居心地の良さがあり、可能性も無限大なのである。

能登町から未来を創造していく辻野さんの今後の活躍が楽しみだ。

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話し手
辻野 実 氏
(株式会社SCARAMANGA 代表取締役 / コミュニティーデザイナー)

聞き手
福島 健一郎
(ITビジネスプラザ武蔵交流・創造推進事業運営委員会ディレクター、アイパブリッシング株式会社 代表取締役)

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