#17

2018.02.21

ユニークなソフトウェアの創り方

担当ディレクター:福島ディレクター
毎回、さまざまなジャンルで活躍する方々をゲストスピーカーに迎え、彼らの活動事例などから新たなビジネスにつながるアイデアの糸口を探るディレクターズトークセッション。
2018年2 ⽉21 ⽇、第17 回は、「ユニークなソフトウェアの創り⽅」。
福島ディレクターより 「仕事ってなんだろう、働くってなんだろう、という疑問を気持ちよく解決してくれる新⽥さんとの対談、ぜひ、ご覧ください。」

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今回の登壇者、新⽥⼀也さんが代表取締役を務める株式会社エイブルコンピュータは、1995年創業、スマートデバイス(スマートフォンやタブレット等の端末向け)アプリの制作を主としたソフトウェア開発会社である。

⼀概にスマートデバイスアプリといっても、ゲームから地図、メッセージングアプリなど、さまざまなものがある。そんななか、エイブルコンピュータは、⾦沢のまちなかを古地図で楽しみながら観光できるアプリ「古今⾦澤」や、森の環境調査に役⽴つ森林管理システム「円空」といったように、スマートデバイスの内部にとどまらないユニークなソフトウェアを世に送り出している。

エイブルコンピュータのウェブサイトを覗いてみると、企業理念として「⼈の道に外れることはしない」という⾔葉が掲げてある。その後はつらつらと、「カッコ良くて、もっともらしくて、⽿に聞こえが良いこと書けなくて申し訳ないです。⼀番の喜びは、社員皆が平穏な気持ちでいられることだと考えます。そのためには、お⾦も絶対に必要だとは思いますが、お⾦や地位や名誉は求めてもきりがないので、⼼の平穏は少なくなる気がしています。」と記される。加えて、社屋についての⼩ネタや、社員が屋上で仲良くバーベキューをする様⼦が記事として載っていたり。ウェブサイトからも、エイブルコンピュータ、あるいは新⽥さんの、なにやらゆるく⼼地よい空気感が醸しだされているのがわかる。

お⾦はないと不幸だけど、追いかけても不幸だな

新⽥⼀也さんは、1969 年、能美市⽣まれ。現在は⾦沢市在住。⾃分がつくりたいものをつくろうと思い、エイブルコンピュータを⽴ち上げた。趣味で15 年ほど茶道をつづけている。と、ここまでだけを聞くと、まったくもってシンプルな経歴なのだけれど、新⽥さんという⼈の味わいは、話を聞けば聞くほどあふれ滲み出してくるから⾯⽩い。

例えば、15 年間続けている茶道に関しても、ついにオフィスに抹茶を点てるスペースを⽤意してしまったり(本当は茶室をつくりたかったが、仕事で遅くなったらそこで寝ると社員が⾔ったので「それはなんだか違う」と思ってやめたそう)、⾦沢で⾏われた⼯芸祭で、⾦沢にゆかりの深かった本阿弥光悦と茶の湯に関するイベントをディレクションしたり。ソフトウェア会社の社⻑でありながら、⼀体何者でしたっけと⾔わせしめるようなことをやってしまう⾃由さがあるのだ。

そんな新⽥さんはエイブルコンピュータを⽴ち上げる前に、2 回、⼀般企業に就職している。まずは⼩松電⼦株式会社。開発部⾨に就職したものの、常に新しい技術を習得し続ける必要のあるシステムエンジニアは、35 歳までしか務まらないという説がささやかれていた当時⻑く続けられる仕事に就こうと3 年で退職。次いで、産業ロボットをつくる会社に転職した。しかし、その仕事には魅⼒を感じることができなかった。そして、「やっぱりソフトウェア開発をしたい」と実感した新⽥さん。今度こそは中途半端に⼿を出すのではなく、⾃分を追い込もうと決意し、会社を⽴ち上げた。それがエイブルコンピュータである。

「1995 年、バブル崩壊の影響がまだ残っていて、阪神⼤震災が起こった年でもありました。ここではじめれば、あとはよくなるだけだと思って会社を作りました。けれど、⽴ち上げたは良いものの、まだ仕事もお⾦もない。どうしようかな、と考え、分厚い⻩⾊いタウンページの冊⼦を開いて、上から順番に電話していったんです。『僕、こんなことできるんですけど、お⼿伝いできることないですか』って。」

当てずっぽうに電話をかけるなんて、今ではちょっと考えられない営業⽅法だし、おそらく当時でもかなり無茶な⽅法だったのではないだろうか。でも、それをやってのけちゃうのが、新⽥さん。

「同業者で⼩さい会社の⽅はすごくしっかり話を聞いてくださいましたし、何度かお仕事をいただきました。当時の仕事は、1コードでいくら、という⾦額の計算だったんですけど、僕って、⻑いコードは美しくないし、短くきれいなコードを書くことにこだわりをもっているんです。だから当時も、できるだけ短いコードでまとめるんですけど、コードが短くて美しくなればなるほど、収⼊は少ない、というね。あっと驚くような少ない⾦額の上に、振込⼿数料まで引かれちゃったりして、もう⼤変でした。」

とほほ、である。

加えて、「今に⾄るまでを考えたうえで⽋かせないストーリー」として挙がるのが、「創業当時の⼤失敗」だ。

「法⼈化して1 年⽬に、突然、電話がかかってきたんです。『名古屋の会社から特別な話を持ってきました』と。コーヒー⾖の先物取引の話でした。儲かると⾔われて、乗ってしまったんです。当時は会社をはじめたばかりだったのでお⾦を貯めていたんですが、それをすべて預けました。」

実家の⽞関にはカギがなく、夜はつっかえ棒をカギ替わりにする、そんなのどかな能美市に⽣まれ、お⽗さんが「ネオンを⾒せてやる」と⾔っては⾦沢の国道8 号線を⾛ってくれた。純粋無垢に育った新⽥さんだからこそ、「少ないお⾦でも儲けられ、為替取引も代⾏してくれるなんて、ありがたい」と、相⼿の話を思いっきり肯定的に信じてしまったのである。

しかし、結果は、やられ損。後から考えると悪質だったともいう。それでも、「会社のために貯めたお⾦を取り返さなくては」と発起した新⽥さんは、ドスの利いた声で脅しにかかる⾃称⽀店⻑にもめげず、「俺のお⾦にこれ以上⼿を出すな」と相⼿に⼿をひかせ、損失を取り返しにかかる。そうして、毎⽇毎⽇、他国の市場の動向を調べ、天気まで調べ、情報を集めるという⽇々を繰り返した。結果、損失はかなり取り戻せたという。けれども、である。

「朝から晩まで為替を⾒て、まったく仕事ができなくて。⾃分は⼀体なにをやってるんだろうって考えました。お⾦って⼀体何なんだろうって。お⾦はないと不幸だけども、追いかけていても不幸なんだな、と、痛感したんです。」

これが前述の、企業理念「平穏さを追い求める」につながっていると新⽥さんは語る。この出来事以降、⾃分のビジネス以外に投資はしないと⼼に決めたという。悲劇とも⾔える話なのだけれど、エイブルコンピュータを今に⾄らせるうえで必要だった出来事なのかもしれないと、新⽥さんを⾒ていると思う。それを乗り越えれられたのが新⽥さんだった、というほうが正しいのかもしれないけれど。

⾦沢にあこがれて、あこがれをこじらせて。

ところで、失礼を承知で⾔うと、新⽥さんは「好き」がわかりやすい⼈だ。⼦どもみたいに⽬を爛々と輝かせて好きなものについて語っている姿は、聞いているほうが微笑ましくなるほどで、新⽥さんが語るものって、きっと魅⼒的なものなんだろうなと感じさせちゃう、緩やかな説得⼒みたいなものがある。そんな新⽥さんが、「好き」を溢れさせながら語る⼀つが、ここ「⾦沢」である。

「僕は能美市出⾝なんですが、⾦沢にあこがれ続けていまして。尾張町に家を買って、ついに念願の⾦沢⼈になりました。会社も⾦沢に移転しました。とにかく⾦沢にあこがれていたので、あこがれをこじらせて、アプリも作りました。」

それが、⾦沢古地図アプリ「古今⾦澤」である。

「古今⾦澤」とは、簡単に⾔うと、古地図と現代地図を併⽤した、⾦沢の今昔を楽しむことができる観光アプリである。古地図と現代地図を⾒⽐べたり、今いる位置を古地図上で把握できる。また、⾦沢の地名の由来や逸話をまとめた⾦沢百科事典「⾦澤古蹟志」を収録しているので、その場所と⾦沢についての⾖知識を知ることもできる。

「⾦沢にはところどころに、あれ?と思わせる場所が残っているんです。例えば、⽔もないのに、まちなかに橋の跡があったり。それを古地図で調べると、⽔路があったということがわかったりして、おもしろいんです。」

このアプリが成り⽴つのは、⼤きな災害や戦⽕に遭わず、町割りがほとんど変化していない⾦沢ならではともいえるのだろう。さらに今後は、このアプリを更に改良し展開したいと考えているという。

「⾦沢は昔からお茶が盛んだったので、茶⼈同⼠の⼿紙をもとにして、観光ルートをたどれるようなものを提供したいと思っています。歴史上の⼈物もいろいろ調べています。誰かイラスト化してくれないかな。個性豊かな⼈がたくさんいるので、伝えていきたいんです。」

 

ここからしばらく、新⽥さんは⽬を輝かせて、千宗室、彦九郎(宮崎寒雉)など、⾦沢や茶道にゆかりのある⼈物と、彼らをとりまく物語を熱く語ってくれた。その部分は橋折るけれども。

機能性が⾼くてずっと愛されるもの

ところで、エイブルコンピュータの特徴として挙げられるものに、森林ボランティア、⾳楽祭の協賛などの⽂化活動⽀援といった事業外活動がある。これらは⼀⾒、ソフトウェア開発と無縁にも思えるものだ。けれども、そこに⼒を⼊れるのは、新⽥さんなりに強い想いがあってこそ。「新⽥さんが⽬指すソフトウェアの姿」に通じているからなのだ。

「⾳楽や⾃然のなかにある美しさって、⼀瞬だったり、過酷な環境じゃないと⽬にすることができなかったりするんですが、⻑く評価されてきたものって不変的なものだと思うんです。そんなふうに、⾃然や美術、⽂化といった美しいものに触れることが、⾃分たちのソフトウェアをつくるときに影響してくるんじゃないかと思っていますし、そういうところに、⾃分がつくるものを近づけていきたい。ソフトウェアは便利さを追求するイメージが強いですが、機能性が⾼くてずっと愛されるものを⽬指したいんです。」

ソフトウェアはある意味でカタチを持たない、概念としては無機質なものである。⽇々⼤量に新しいアプリが開発され、使い⼿は、便利さやスピード感のようなものを求めることも多い。そんななかでも新⽥さんは、単に「もっと便利に」「もっと早く」といった機能性だけではなく、ある意味デジタルの世界とは対にある、「⾃然的なもの」、「美しさや⼼地よさ」を追求している。このことが、新⽥さんのアプリのユニークさにつながっているのかもしれない。「古今⾦澤」や「円空」は、まちを歩くことだったり、⽊を調べることだったり、実際の⾏動があることが前提になっているものだし、⼈と世界との関わりの中に、アプリがあることで、その5関係性や⾏動が増幅する。新⽥さんがいう「⾃然的なもの」「美しさや⼼地よさ」というのは、単に表層的な意匠だけではなく、それらが含む温度のようなことも含有しているのだろう。

とはいえ、である。ここまで新⽥さんの話を聞いていると、作っているアプリがどうもマニアックすぎる。お⾦を追いかけない、平穏さを追求するとはいえ、いかんせん社員をかかえた株式会社である。これで⽣計が成り⽴つのかというのは、下世話だけど気になる部分でもある。

「正直、これらのアプリは今のところ、あまり収益になっていません。うちの会社は主に受託開発で売り上げをたてるのがメインです。だから空いた隙間時間につくっているので、なかなか、開発が進まないんです。」

「今後は仕事につなげていきたいと思っているのですが・・・」とつづける新⽥さんの⾔葉に、⼀社員であれば、「しっかりしてよ、社⻑ってば」ともなりそうなところだが、きっと、そうならないのが新⽥さんの⼈徳。社⻑が先⽴って⾃由に⾃分がつくりたいソフトウェアをつくっているのだったら、社員も、⾃分がつくりたいものをつくろうと思えるかもしれない。社⻑の想いにふりまわされていたら困ったものだけど、「社員も、『結構いいんじゃないか』と⾔ってくれています」と控えめな新⽥さんが⾔うのだから、きっと「いい」んだろう。

「もちろん、辞めていった⼈もたくさんいます。どんどん儲けてキャリアアップしたい⼈はうちには合わないですね。いくら儲かるかというゴールではなく、どれだけ楽しいか。それで少し⾷っていける。それが⼤事ですね。」

そして、新⽥さんはふと社⻑顔になり、今後の進退について少しだけ顔を曇らせる。

「本当は55 歳で退きたいと思っていたんですよね。⾃分が、会社の成⻑の障害になる気がして。社員が許してくれるならこのまま社⻑という⽴場で続けるかもしれませんが、私は誰か代わってくれませんかと⾔っているんです。もっと優秀な⼈がいるし。私もソフト開発でやりたいことがあるので、それをやらせてくれるなら、社⻑じゃなくても良いんじゃないかなと思っています。」

これが新⽥さんらしさなのだと感じる⼀節だった。創業者でありながら、「⾃分が会社の成⻑の障害になるかもしれない」と思える社⻑はなかなかいない。好きなものをつくりたかったから、⾃分で会社を⽴ち上げた。シンプルだ。肩書がほしくて社⻑になったわけじゃない。きっと、このスタンスがエイブルコンピュータに浸透していて、なんだかんだとそれを楽しんでいる社員の⼈も多いのではないだろうか。だから、社⻑が⼀社員になるという形も、新⽥さんならありえそうだなと思う。

「趣味に関してはノータッチだし、怒ることもない」という奥さんは、会社を辞めるという話をしたときだけ、「ちょっと怒って」いたそうだけれど。

話し⼿
新⽥ ⼀也 株式会社エイブルコンピュータ 代表取締役

聞き⼿
福島 健⼀郎 IT ビジネスプラザ武蔵交流・創造推進事業運営委員会ディレクター(アイパブリッシング株式会社 代表取締役)


鶴沢⽊綿⼦

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